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Dreaming Is Living

LA在住の音楽ライターが夢実現のヒントを綴ります

笑わせることに幸せを見いだす男子達

今週末のアメリカはサンクスギビング・ウィークデーといって
国を挙げて国民が家族や親しい友人達と七面鳥の丸焼きをいただくという感謝祭(木)からずっとお正月的なノリだったので、今日はどうでもいい話をつれづれに。

TV取材の通訳をしていて良くある質問。
「このアルバムのレコーディング中の面白いエピソードはありますか?」
物作りをしたことのある人はなんとか分かるのではないかと思うけど、
アルバム制作は地道で地味な作業。繰り返しも多い。
そんな真剣な状況で笑えるエピソードとかって、そうそう起こらないようです。
でも面白いネタが欲しいから、毎回のように聞く。
そうすると、アーティストって器がでかいなといつも思うんだけど、
男女ともに一生懸命ネタを考えてくれます。
ただ、大抵男子の方が、より一生懸命。
そして、なんとかこちらを笑わせようと、それを考えるのを楽しんでいる感がある。

男子は…とか女子は…と一括りで語ることが無理なのは承知ですが、
ずっと同じ質問をしてきた中で感じたこと。
男性アーティストの多くは、人にウケてもらうのが好き。
これはエンターテイナーでもあるアーティストの気質なのかな? とも思ったけど
まあ、男性は一般的にそういう生き物なのではないかと。
で、男ではないレズ坊はどうかというと、女の子を笑わせることに情熱を注ぐレズ坊は多数存在します。彼女以外の女子や男子も笑わせようとします。

男性ホルモンの関係でしょうか。

人に喜んでもらうっていうのは男女ともに誰でも嬉しいことかもしれないけれど、
笑わせるということが喜ばせることの中でも大きな比重を占めている人、
それをいつも試みる人は魅力的だなと私は思う。
そっか、だからお笑い芸人とコメディアンってモテるのか。

 

Dreaming is Living!
過ごしやすく楽しい冬でありますように。

 

ジャスティン・ビーバー

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アメリカ時間で13日(金)にパリで起こった事件は、ロサンゼルスにも影響を与えています。
私の友人の多くは、誰もがFBのプロフィール写真をフランスの国旗と組み合わせて、フランスに祈りを送っています。
今夜開催される『ハンガーゲーム FINAL : レボルーション』のプレミア会場での取材は一切中止になり、出演者達はレッドカーペットに登場してファンと交流するのみとのこと。
日本の自粛と似ていますが、こういう時、思いや祈りに国境はないと感じます。

この13日、音楽業界内では一大イベントがありました。
ジャスティン・ビーバーの最新作『パーパス(目的、意義)』のリリース日だったのです。
ビーバーのファン、ビリーバー達にとっても、これは一大事件です。
ジャスティンのこの新作は、3年ぶりというだけでなく
彼がまさに若気の至りでやんちゃすぎる行動を繰り返し過ぎて、一般の人からも叩かれるようになってしまった後での大復活作。
盛大にお祝いしたい日なのに、
そうも言っていられない状況になって、残念だったと思います。
しかしビリーバー達の応援は絶大のようで、『パーパス』はitunes チャートで1位になり、絶好調の売れ行きを見せています。

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ジャスティンのデビュー当時から毎回ライヴレポートをしているのですが(上の写真は2012年10月のLA公演)
ここ数年の彼のイメージの崩れっぷりは酷いものがあって、アイドル的にはもう終わったかと思っていたんです。
その思い込みが覆されたのが、今年4月のアリアナ・グランデのLA公演(冒頭の写真)。
彼がサプライズ・ゲストで出て来た時の、女子達の叫びがもの凄かった。アリアナに向ける声援を超えている位の音量。
そこで彼はアリアナのショウなのに1曲分の自分だけのステージ時間を確保して「ホエア・アー・ユー・ナウ?」を披露、スクリレックスとディプロのユニットが手がけたクールなEDMでその踊りを鮮やかに見せつけて、
女の子をギャーギャー叫ばせた。
ああ、ジャスティン、全然終わっちゃいなかった。ごめんよ、ジャスティン。
と私は一人心の中で謝りました。

 

「ホエア・アー・ユー・ナウ?」についてはスクリレックスの記事でも触れましたが、

結果的に2015年のトップ10ソングに入る位の大ヒットぶりで、その後に出たニュー・アルバムからのファースト・シングル「ホワット・ドゥー・ユー・ミーン」も全米1位の大ヒット、数週間前に解禁になったセカンド・シングル「ソーリー」も大ヒット中。
その流れに乗ってアルバムも大成功というわけで、
ジャスティン・ビーバーは今でもトップスターであることを、見事に証明してみせました。おめでとうございます!

ロサンゼルスのKISS FMのカウントダウン番組『アメリカントップ40』のインタビューで、彼はこう語ってました。
「僕は音楽を通じて、本当の僕の姿を、皆に伝えたいんだよ。そして音楽は、僕が愛していることなんだ」
これがジャスティンの「パーパス」なんですね。
で、本当のジャスティンってどんな人間なの? という疑問ですが。
これもジャスティンが取材で繰り返し言っていることだけど
「僕はいい人間」。
ジャスティンは本当はいい人なのです。そしてそれを、みんなにも分かって欲しい。
ビリーバー達は知ってるから、ちょっと悪さしたぐらいじゃファンを止めない。ファンに対して酷い事したこともないしね。
私は(明らかな理由で)ジャスティンをそういう目で見たことはないですが、ジャスティンがアメリカのレズ坊に多いキュートなショートヘアでデビューして、クラブに行くと周りのレズ坊が誰も彼もジャスティンに見え、
仲間内でもそれが笑いのネタになるという幸せな時代を体験したので、彼には勝手に親しみの念を抱いています。

2011年の『アンダー・ザ・ミスルトウ』のリリース前に、各国の記者達がジャスティンを取り囲んだ取材で、
「子供の頃の僕は、ホリデーシーズンに皆が寄付した食料(フードドライブという寄付活動が街中で行われる)をもらっていたんだ。だから、皆にお返しをすることは大事だって思ってる」と、自分がチャリティー活動をした理由について答えていて、
「いい子じゃーん」と感嘆しました。当時、ジャスティンは18歳。その取材の訳を見返してみたら、もう一つ大事なこと言ってました。
人生の目的は、他の人達に良いことをして、良い人間になることなんだ。それが僕がなりたい人物で、僕は良い人間になりたい。単なるシンガーじゃなくて、人に尊敬されるような人間になりたいんだ
この時からジャスティンは、ぶれてないんですね。ちょっと揺らいじゃったけど。
でも、とりあえずこれまでの3曲の新曲を通して、私の目を通して見えてきた本当のジャスティンは……
「おのれ、どこまで女々しいんじゃ〜〜!!!!!」
だって、タイトルだけとってみても、
「君は今どこにいるの?」(「ホェア・アー・ユー・ナウ?」)、
「どういう意味なの? 分からないよ」(「ホワット・ドゥー・ユー・ミーン?」)
「ごめん、もう謝っても遅すぎる?」(「ソーリー」)
「ソーリー」に至っては、ラジオで流れる度に「遅すぎ、遅すぎ」とつっこんで楽しんでおります(ファンの皆さん、ごめんなさい)。
恋愛って、そんなものだしね。
これだけ素直に弱いところをさらしてくれると逆に、勇気ある!素敵!って惚れ直しちゃうのかも。

音楽ライターの視点から言うと、『パーパス』はポップス界に大きな影響を与えるであろう名作です!ビリーバーでなくても、いい年した大人でも、聞いてみて下さいね。気分が晴れると思います。
12月のプロモーション来日、どれだけビーバー・フィーバーが吹き荒れるか楽しみです。

 

Dreaming is Living!

Have a nice November!

 

パーパス

パーパス

 

 

 

ペンタトニックスの最新作『ペンタトニックス』本日世界同時発売!

といっても日本の方が1日早いから、アメリカではまだ発売されてないんだけど。
すでに一度ご紹介したアメリカのアカペラ・グループ、ペンタトニックスが、
10月16日、初のオリジナル・アルバム『ペンタトニックス』をリリースしました。

驚異的なアカペラをやる彼らのオリジナル曲がメインのアルバムは、

驚異的という言葉では足りないぐらいの傑作です。
昨年末の彼らのクリスマス・アルバム『That's Christmas to Me』は
全米アルバム・チャートで2位だったので、最新作も来週のチャート結果が楽しみ。

ラジオよりもYouTubeで世界的にヒット曲を連発してきた彼らですが、
オリジナル曲のファースト・シングル「キャント・スリープ・ラヴ」のPVは
公開後1日で91万回を超える再生回数を突破、現在は580万回を超えています。

 

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この『ペンタトニックス』のプロモーションで、再びLAで取材が行われました。写真はその取材の写真撮影時(左からアヴィ、カースティ、スコット、ミッチ、ケヴィン)。
取材の合間にちょっとカースティと雑談できたのですが
今年6月に日本ツアーで来日した時の裏話。
カースティが秋葉原に行って、キュートなアニメグッズとかがあるお店かと思ってある場所に入ったら、
「セクシーな女の人がいて、お客は男性ばっかりだったのー!!
女性は私達(カースティーとおそらく同行したお母さん)だけで、きゃー!!どうしよー!!!って」
手をパタパタさせながら、その時の慌てぶりを見せてくれました。

「もっと、キッズが行くようなキディランドみたいなお店を探してたのよー。秋葉原にはないの?」
いや、たぶんないよね……。
その男の客のみだった怪しい店がなんだったのかも分からないけど……
それはそれは驚いたでしょうね。慌てぶりが可愛かったです。


ペンタトニックスが日本デビュー当時に教えてくれた
アカペラ・グループとしてだけでなく、革新的な音楽をやっているグループとして知られたい」という夢は、
間違いなく『ペンタトニックス』で達成されると思います。
彼らの次なる夢は、「ラジオでヒット曲を出すこと」だそうです。
11月に彼らが日本にプロモーション来日する頃
日本のラジオで「キャント・スリープ・ラヴ」か新シングルが、かかりまくっているといいですね。

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Dreaming is Living!!

Have Happy October

 

 

ジョニー・デップ(of ハリウッド・ヴァンパイアーズ)

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あのジョニー・デップが、ロック・バンドを始めましたよ。この写真右隣の怪しいルックスのアリス・クーパーと。
しかももう一人のメンバーは、私が高校生の時から一番好きなギタリスト、ジョー・ペリーエアロスミス)です。そのバンドの名前は、ハリウッド・ヴァンパイアーズ
元祖ショック・ロッカーのアリス・クーパーが、
1970年代にロサンゼルスのサンセット通りにある「レインボー・バー&グリル」で夜な夜な飲んでいたザ・フーやザ・モンキーズのメンバーや、ジョン・レノンリンゴ・スターといった大スターの飲み仲間につけたグループ名をとって、
あの世にいってしまった仲間達の追悼の意味も込めて結成したバンドです。

9月16日、その「レインボー・バー&グリル」の隣にある40年の歴史を持つライヴ・ハウス、ロキシーで、彼らは初のライヴを行いました。
このライヴが、やばかった!
この3人に元ガンズのダフ・マッケイガンマット・ソーラムが加わってのショウで、さらに衝撃のゲスト続出。(レポートは来月号の『インロック』に掲載されます)
ジョニーはかつてロック・バンドをやっていて、
サンセット通りの有名なライブハウス、ヴァイパー・ルームのオーナーだったこともあるのですが、ギタリスト姿も素敵でした。

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ジョニー・デップを好きでない人なんかいないんじゃないかしらと思うぐらい、
ご多分にもれず私もジョニーのファンです。美しくてヘンなところが素敵。
そんなジョニデに取材をするという天地がひっくり返りそうな事態が、2011年に起こりました。
映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』のプレミア前の日本用の取材で、
音楽ライターの私に一時的に降って来た、某スポーツ新聞社さまの依頼でした(ありがとうございます)。
丁度震災後の取材だったので、記事は映画の出演者達が日本に向けて送った応援メッセージがメインになり、ジャック・スパロウ役のジョニーの囲み取材で聞いた質問の答えは、記事には入りませんでした。
いつかどこかで出せたらいいなと思っていたので、この機会に。

 

ーー今回の『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』もまた、子供に夢を与える内容になっていると思うのですが、子供に夢を与えるような映画に出ることは、あなたにとって大事なことなのでしょうか?

僕は子供の頃から変わっていて、ういてたんだ。だから僕は、無法者とか変わり者の役を演じるのが好きなんだ。僕がそういうキャラクターを演じることで、変わっていてもいいんだよ、っていうことを伝えられたらと思ってる

 

やはり彼は素敵でした。すごく控えめで、静かに話す人でした。
この答えをあとでレズ坊友達に話したら、「それってうちらに言ってくれてるじゃん!」と大興奮。「だよねー!」と喜び合いました。
別にジョニーは性的マイノリティのことを言っていたわけではなくて、
世の中のマジョリティの枠からはみ出てしまうあらゆる人達のことを言っていたのだけれど、私には特に染みる言葉でした。

 

変わり者といえば、音楽業界の中でも特にロック・スターはヘンな人が多いです。ヘンな人しかいないかも。
近年そういうスターがいるロック・バンドが激減してしまって寂しいなと思っていたところに、いきなり究極のスーパー・バンド、ハリウッド・ヴァンパイアーズが誕生しました。基本的にカバー・バンドなので、クラシック・ロックやハード・ロックが好きな人にとっては至極のバンドです。
アルバム『ハリウッド・ヴァンパイアーズ』も発表されたので、チェックしてみて下さいね。

 

Dreaming is Living!

あっという間に9月最終日。よい一日をお過ごし下さい!
 
 

ケリー・クラークソン

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LA時間の8月19日(水)、
元祖アメリカン・アイドルケリー・クラークソンのステープルズ・センター公演(オープニング・アクトはペンタトニックス)を観に行きました。
このショウの最中、「ピース・バイ・ピース」という曲を披露する時に
ケリーが感極まって泣き出してしまい、慌てて「モロ妊婦だわ〜!」と、突然妊娠を発表するというサプライズがありました。
次の瞬間、約18000人の観客が爆発的な大歓声を挙げて、ケリーを祝福。とてもスペシャルで、涙腺が緩む場面でした。

「ピース・バイ・ピース」は、今年3月に発表された同名のニュー・アルバムに収録されている、とてもパーソナルな歌詞の曲。

アルバム・タイトルにもなっているので、新作の中で一番ケリーが思い入れがある曲だろうと思っていたのですが、予想通りケリーはこの曲をやる前に、
「これは私にとって特別な曲で、この曲のメッセージをみんなに聞いて欲しいから、ピアノ伴奏だけで歌うことにしたの」と語り始め、子供の頃、ロールモデルになる親がいないと、愛されることを信じるのが難しくなってしまうこと、
それでも今の夫に出会って、信じることができるようになったことを語り、

愛されるためには、まず自分を愛することが大事だと思うの
と締めくくって、この曲を歌い始めたのです。

すると間もなく、ケリーは声を詰まらせてしまいました。泣きそうになっていたのです。それだけ自分をさらけだしている曲だし、感極まってしまったんだろうなと思っていたら、そんな自分を笑い飛ばしてまた歌い始めた彼女が、再び声を詰まらせました。
そこで彼女は見るからに慌てふためいて、妊娠していると口走ってしまったのです。
大歓声に包まれた後は、いつも通りの圧倒的な歌唱力で、最後までこの曲を歌いきりました。

歌い終えた後は、
「こんな形で発表するつもりじゃなかったのよ!でも泣き出しちゃったし!みんなに何か変なクスリでもやってるんじゃないかって思われたくなかったから。今日はホルモンが出まくってるの。
でも何も問題はないのよ、全て絶好調よ!」
と説明して、場内に暖かい笑いを巻き起こしていました。
それから、
「どうしよ、次の曲、超悲しいわー。お願い、一緒に歌ってね」
と言って歌い始めたのが「ビコーズ・オブ・ユー」。
ケリー自身が作詞作曲した彼女の代表曲の一つで、私が勝手にケリーに共感を抱いてさらにファンになった曲。
この2曲が並んでいることには意味があって、
2005年に「ビコーズ・オブ・ユー」を歌っていたケリーが、
2015年に「ピース・バイ・ピース」を歌えるようになったこと、
それ自体がとても感動的なストーリーになっているのです。

 

ケリーの両親は彼女が小さい頃に離婚していて、ケリーは、母親が男性を信じるのに苦労しているのを見て育ちました。その気持ちを包み隠さず歌にしたのが、「ビコーズ・オブ・ユー」。

「あなたを見ていたから
信じることが難しくなってしまったの
私自身だけでなく、周りのすべての人達を
あなたを見ていたから
私は怖がっているの」

 

2011年、5作目のアルバム『ストロンガー』のリリース前に、
私はケリーの住むナッシュヴィルで取材をする機会を得ました。
そして取材の最後に、ものすごく緊張しながら、
「ビコーズ・オブ・ユー」が大好きな曲であることを伝えてから、とても個人的な質問をしました。

「私も問題がある家庭で育ったので、結婚とか、どこかで怖がっている気がするんです。あなたはどうやって乗り越えたんですか?」

ケリーは持ち前のカラっとした明るい声で、私の緊張を吹き飛ばすように言いました。
「私だって怖がってるわよー!
でもその怖れは、乗り越えるものじゃなく、生き抜いていくものなんだと思う。今だって大変よ。誰かとつきあっていると、良くない方向や疲れる方向に向かいがちなんだもの。
その中で、どうにかしようと頑張るんだけどね。
でも、本当に自分を理解してくれて、一緒に人生を歩もうとしてくれる人に出会えれば、そして、自分がその人と一緒歩もうとすることができればいいんだと思う

 

そう言っていた彼女は、彼女のマネージャーの息子のブランドン・ブラックストックと2013年の10月に結婚し、2014年の6月に女児(リヴァー・ローズ)を出産。
ケリーは取材で正直に語ってくれた夢を、叶えたのです。

そして生まれたのが、「ピース・バイ・ピース」です。
「ひとつひとつ
彼がもとに戻してくれた
私が信じる心を
男性は優しくなれる
父親はずっと一緒にいてくれる」


Kelly Clarkson - Piece By Piece (Audio) - YouTube

この2曲だけで、恋愛映画が作れそうな素晴らしいストーリー。
それが実話で、ファンがその物語を共有できたということが、本当に感動的だと思うのです。


ケリーはショウの間中、この失敗をずっと気にしていたようで、
「ショウの後、夫と話すのが心配だわー。まだ親戚でも知らない人がいるのにー!」
「でも、みんなにクレイジーな人だと思われたくなかったのよ。
まあ、私、ちょっとクレイジーだけどね。クレイジーじゃなきゃ、この仕事はやれないわ」と何度も話をぶり返しては、皆の歓声を浴びていました。

彼女の人柄がこの記事から少しでも伝わったら嬉しいのですが、
ケリー・クラークソンほど表裏のないスターには会ったことがありません。本当に素直で、自分を飾ろうとしない、嘘がつけない人。
アメリカン・アイドル』に出演していた時から、誰の目にもそれは明らかで、そんなケリーを、全米の人々は応援せずにいられなかったのです。
アレサ・フランクリンに及ぶのではないかと思うほどの見事な歌唱力も、
彼女が第一線のスターでい続けている理由ではありますが、
それ以上に彼女の人柄が、今も多くの人々に愛されている理由だと思います。
この夜、ステープルズ・センターに集まっていたのは、
ケリーと同世代の30代の男女だけでなく、
10代から50代まで、本当に幅広い年齢層のファンでした。
 
出産を終えたら来日公演を実現させて、日本の人達の心もわしづかみにして欲しいな。

 

Dreaming is Living!

Let's start loving yourself first!

 

 

 

私がグリーンカードに当選した理由

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日本にいなくても、お盆と終戦記念日に色々な思いを日本に馳せていました。
サマソニにも行きたくてたまらなかったな。
そんな中、ふっと思い出したことが。
そういえば私、永住権(グリーンカード)を当てたこと書いてなかった!

夢実現ブログなのに!

 

アメリカで生活したいな、と思っている人達にとって一番の壁はビザ(許可証)だと思います。

アメリカは、学生ビザ、就労ビザ、実業家ビザ等、なんらかのビザを持っていないと3ヶ月以上の滞在を許してはくれません。
自由の国と謳っておきながら、ビザに関してはかなりシビアです。


短期の移住でよければ、一番確実なのは留学。語学学校から始めて、そこから短大、大学と進めば、5年はアメリカで生活できます。
語学学校だけで5年位いる強者もいますが、英語の習得にそこまで時間がかかるのは明らかにおかしいので怪しまれ、語学学校は大抵2年で卒業させられます。
その後、短大や大学に行きたくない人、行く資金がない人は、専門学校を選ぶという手もあります。専門学校も、大学ほどではないけれどお金はかかります。
でも、学生ビザで滞在している学生には、週40時間までしか働いてはいけないという決まりがあるのです。学生の本分は、勉強だからね。
それに仕事を一杯して生活費を充分に稼ぎ、そのまま学生ビザでアメリカに居続けられては困る、

とアンクルサムは思っているのです。
その時間内のバイトで生活して学費まで出すのは、はっきり言って無理。


私はまず、1年以上は暮らせる貯金を持って学生ビザで始めて、音楽ライターの仕事と寿司屋のウェイトレスのバイトで食いつなぎ、
学生ビザではもう絶対これ以上いられない、という状況になってから日本に一時帰国。
そして、ライターの仕事のコネクションを使ってジャーナリスト・ビザを取得し、またLAに戻ってきました。
さらっと書きましたが、むちゃくちゃ大変で、むちゃくちゃストレスがたまる道のりでした。
私は一応、ちゃんと移住計画を建てていたつもりで、
日本の大学卒業後に雇って下さった超いい会社を1年で辞め、結婚適齢期に留学したんです。
数年で国際結婚できるだろうな、だって私、売れ時だし。みたいなノリでした。
……甘かった。果てしなく甘かったよ。
この間、本音は学生じゃなくてただアメリカに住みたいという思いで留学していた友達の多くがどんどん帰国していきました。
移住したい人たちにとって、本当に本当に、適切なビザ取得は大変なんです。

私は音楽ライターの仕事をしていたおかげでジャーナリスト・ビザが取れましたが、これはアメリカでジャーナリストの仕事を行うために発行されるビザで、それ以外の仕事をすることは禁じられているので、
その間ちゃんと生活していけるだけのお給料を払ってくれるスポンサーとしての会社が必要になります。
私の場合、一時帰国した際に、本当にラッキーなことにスポンサーになって下さる会社が見つかったので(今も死ぬほど感謝しております)、
その会社を通してビザを申請し、3年のビザが取れました。申請すれば必ずもらえるものではないので、ラッキーでした。
さらに3年、というのもラッキーで、1年しか降りない人もいます。その場合、切れた時点でまた帰国して、申請しなおさなければなりません。
そのジャーナリスト・ビザの期限があと1年半ほどになった時、私はまた不安に駆られました。
こうしてビザに頼ってアメリカに住んでいる限り、いつもビザの心配をしなければならないのです。
同じ会社がまたスポンサーになってくれるとは限らないし、なってくれてもまた取得できるかは分からない。

そこで私は初めて、永住権抽選に応募したのです。
……っていうかそんなにアメリカ生活が夢だったんなら、日本にいる時から応募すりゃあいいじゃない(どこからでも応募できます)、と思うかもしれませんが、
私はそれまでくじ運が全くなくて、当たらないだろうと頭から思い込んでいたんですね。
あと、ぼーっとしてるんで締め切り関係が非常に苦手で、毎年気づくと応募締め切りを過ぎているんです。

その年も、応募しよう、と決めた割にはやるのがギリギリで(代行している会社もありますが、英語さえ読めれば自力で応募できます)
たしか10月の応募最終日の締め切り時間の1時間前に、スッピンのやばい顔の写真を張りつけ、ネットで送りつけたのです。

当たったらいいなーとは思っていたものの、そんなに期待はしていませんでした。

 

そして翌年4月、郵便受けに大きな封筒が入っているのを見つけました。
まさか! と一瞬硬直し、ドキドキしながら封を開けてみたところ……
「永住権に当選しました」との通知でした。
  

叫びましたよ。バカみたいにね。

 

それで、肝心のなぜ当たったのかという理由ですが
 ラッキーだったから
これに尽きると思います。だって、くじだし
それ以来、私は友人知人の間で「超ラッキーな人」に変わりました。

もう一つの大きな理由は、馬鹿げてると思うかもしれないけど、
 応募したから
ですよね。応募しなかったら、一生当たらないんだから。
くじ運がないなんて勝手に思い込んでないで、さっさと応募するべきだったんですね。
 
永住権に当選してから「当選したんです」という話をすると、
「私も!」、「友達で当たった人知ってる!」など、結構な頻度で当選した日本人の話を聞くようになり、
結構当たるんだな、と思うようになりました。

当時、私は30半ば。
もしも本当の本当はランダムなくじ引きじゃなくて、いちいち書類を見て選んでいたとしたら(絶対そんな時間ないと思うけど)
「こいつ30半ばでシングルでこんな顔だよー。しょーがねーなー、救ってやるか」
と、思ってくれたのかもしれませんね。
 アンクルサムさん、ありがとう♡

 

Dreaming is Living!

If you wanna win it, try it!!
当てたいのなら、まず応募!!

 

マリリン・モンロー

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LA時間の昨日、8月5日は、マリリン・モンローの53回目の命日でした。

「はじめまして」で少し触れましたが、私がロサンゼルスに移住したきっかけは、マリリン・モンローに憧れたからです。
10代の時に深夜のTVで彼女主演の『七年目の浮気』を見て、一目で恋に落ちました。

そして私の片思いは、今でも続いています。死んでも続くだろうと思います。
女優として、古今東西、誰にも放つことのできないオーラをまとってダイアモンドのように輝いていたマリリンの姿と、父親を知らず、母親も育児ができる状態ではなかったために、親戚の家や孤児院で育ったという彼女の生い立ちは、

当時家族のことで悩んでいた私に、言葉では言い表せないほどの希望を与えてくれました。
この世にいない人にそれだけの影響を受けるというのは、ものすごく奇妙なことだと思うけれど、マリリン・モンローに出会わなかったとしたら、今の私はありません。
そして、彼女はもういないのに、少しでも側にいたいという思いがあったから、私はロサンゼルスを住む場所に選んだのです。

 

ロサンゼルスのウエストウッドという場所にあるWestwood Village Memorial Parkに、マリリンは眠っています。
緑が美しい公園のようなこのお墓は、マリリンの他にも数々の有名人の墓碑があり、毎日のように観光客が訪れる知る人ぞ知る場所。
そして1982年以来、毎年8月5日に、マリリン・リメンバードというファンによって創設されたファンクラブ(www.MarilynRememberd.org/このHPから誰でも加入できます)が、追悼会を行っているのです。
今年も100人を超える様々な年齢層のファンが集い、マリリンが出演した映画に出ていた女優さんや、マリリンの写真家の娘さんなどがゲストとして招かれて、それぞれにマリリンに対する特別な想いを語ってくれました。
ここに来る度に、ファン一人一人の胸に宿るマリリンの存在の大きさを実感し、胸が熱くなります。

 

マリリン・モンローは、映画女優になるという夢について、こんな風に語っています。


昔よく夜のハリウッドを眺めながら、思っていたの。

私みたいにこうして一人で座って、映画スターになることを夢見ている女の子達は数えきれないほどいるはずだわって。

でも、彼女達のことは気にしない。

私は、誰よりも熱く夢を見ているから。
(I used to think as I looked out on the Hollywood night,

There must be thousands of girls sitting alone like me,

dreaming of becoming a movie star. But I'm not going to worry about them.

I'm dreaming the hardest.

 "the hardest"は、“一番一生懸命に、熱心に”、という意味ですが、悩みに悩んだ末、“誰よりも熱く”がはまるような気がしたのでこの訳にしました。中山美穂さん、インスピレーションをありがとう)
 
売れる前の彼女は、ご飯代を削って演劇クラスの授業代にしていたこともあったそうです。
セックスシンボルと呼ばれたほどの彼女の容姿は、今では普遍的なアートとなって、Tシャツやポスターや洋服のデザインとして、世界中に溢れています。だからハリウッドをドライブしていると、毎日必ずといっていいほど、マリリンの顔を見かけます。

そんな女優は今も存在しないし、これからも存在しないでしょう。
でも私は、彼女の女優としての才能と、常にさらにいい女優になろうと熱く努力していた生き様を、何よりも尊敬しています。

マリリンは偉大な女優でした。

ミュージカル映画の歌声や踊りは本当に唯一無二で素晴らしいし、コメディ映画で発揮するユーモアのセンスは、本当に見事でした。

『百万長者と結婚する方法』、『紳士は金髪がお好き』、『お熱いのがお好き』、『ショウほど素敵な商売はない』、『ナイアガラ』、『バス停留所』、名作を挙げたらきりがないですが、機会があったら、ぜひ鑑賞してみて下さい。


もし夢があるなら、誰よりも熱く、その夢を見よう。
マリリン・モンローのように。

 

Dreaming is Living!

Let's dream the hardest!!!