プリンス part 2
プリンスの死因がはっきりするまで何も書かないでおこうと思っていた。
というか、書く気にもなれなかった。
アメリカのメディアはホイットニー・ヒューストンの時と同じように
「オーバードーズ」で片付けてしまっているけれど
本当に報道すべきなのは
過剰摂取で死に至る量の薬物をその危険性を知りながら渡した医師と薬剤師の罪であり
中毒になる薬を患者に与え続けるこの国の医療の大罪であると私は思っている。
プリンスはアメリカの国宝のような存在だった。
それに気づいたのは、皮肉にも
彼が亡くなった後の報道とこの国の各都市でのファンの様子を見たからだった。
ロサンゼルスでは、彼の死後しばらくたった5月6日に
市を挙げて追悼コンサートが行われた。
ロサンゼルスのダウンタウンにあるロサンゼルス市庁舎は、
プリンスが“ダイアモンズ&パールズ”という名曲のPVを撮影した場所。
彼が亡くなった日の夜はこの市庁舎が紫色にライトアップされていたのだが、
この日は市長の許可で、午後5時から9時まで無料のコンサートが行われたのだ。
市庁舎前の仮設ステージに
ザ・タイム、フェイス・エヴァンス、アロー・ブラック、エリック・ベネイらが登場して
1、2曲ずつプリンスの曲を歌い、
その合間にDJがプリンスの曲を流してみんながそれに合わせて歌いながら踊る。
集まっていた数千人のうち8割はパープルを身につけていて、
これをプリンスが天からみたら、さぞかし嬉しいだろうなと思った。
でも、生きている間に見られたら、もっともっと嬉しかっただろう。
最後に登場して、それまでに出た出演者達も交えて歌ったのは
プリンスと仲の良かったスティーヴィー・ワンダー。
「なんと素晴らしい人生と音楽を、彼は私達に与えてくれたことでしょう。
彼から私達が学べることはただ一つ、それは真にお互いを愛することだと思います」
Prince & The New Power Generation - Diamonds And Pearls (Video 1991)
“ダイアモンズ・アンド・パールズ”は私が本当にプリンスにはまるきっかけになった大好きな曲で、プリンス&ザ・ニュー・パワー・ジェネレーション『ダイアモンズ・アンド・パールズ』(1991年)が今でも一番好きなアルバムだ。
でも、はまっていた当時は英語が聞き取れなかったので、あまり歌詞を理解していなかった。
改めて聞き返してみて、すごいことに気づいた。
If I gave U Diamond and Pearls,
Would U be a happy boy or a girl
(僕が君にダイアモンドと真珠をあげたら、
君はハッピーな男性、それともハッピーな女性になる?)
曲はこの後、(僕が君にこの世界をあげられたら…でも僕が差し出せるのは、この愛だけなんだ)
と続くのだけれど、
私はここに「ボーイ」が入っていることを知らなかった。
プリンスは、ほんとうに皆を愛していたのだと思う。
彼は私のことを知らないけれど、プリンスにはたくさんのたくさんの愛をもらった。
ありがとう。プリンス。
私がこのブログで叶えたいこと
このブログを始めてから、丸1年経ちました。
1年で29記事。ブログにしてはかなり少ないよね……。
でも読者のみなさんと友人達の応援のおかげでなんとか続きました。
本当にありがとうございます。
1周年ということで、今日は私がなぜこのブログをやっているのかについて
書きたいと思います。
(初めての方は、「はじめまして」も読んでいただけると嬉しいです)
洋楽ライターとしての危機感は、ここ10年ぐらいずっと持ち続けています。
この10年間で、洋楽雑誌のみならず雑誌そのものが次々と廃刊になったからです。
でも、雑誌はなくなってもオンライン上でエンターテイメント情報を発信しているメディアは沢山あるし、「書く場所がないから仕事がない」というのは言い訳にすぎないんだよね。
だって書く場所はあるんだから。ブログだってそう。書きたければ、簡単に情報が発信できる時代になった。
でも他の雑誌もそうなのだけれど、記事を書いても原稿料が発生しなければ、ライターは食べて行けません。
雑誌の原稿料は、その雑誌社からいただくのだけれど、旧来のメディア運営は基本的に広告費で成り立っているものなので、洋楽雑誌の場合は主にレコード会社やレコード店が広告掲載料を払うことで成り立っていたんです。
でも、CDが売れない時代、その中でも洋楽が売れない時代になって、レコード店も減り、雑誌も減り、広告料を使って雑誌という媒体でプロモーションをするというやり方が通用しなくなってしまったんですね。
それで現在は雑誌よりも、TV用の取材の通訳が主な仕事になっています。
でもTVに出られるアーティストというのは、すでに日本で人気があったり、欧米でに大人気になっている新人だけ。他のアーティストは紹介されることもなく終わってしまう。
これまでは欧米の音楽も、邦楽と同じぐらいとまではいかなくてもメディアを通じて日本の社会に流されて行くという「循環」ができていたのに、その流れが止まってしまったんですね。
流れが止まると、どうなるか。
まず、お金の流れがなくなる。
そして次に、文化の循環が止まる。
せっかくインターネットで世界中が繋がって、世界中の文化や情報を一瞬で得られる世の中になったのに、なぜか洋楽業界だけは停滞。
もともと洋楽っていうのは邦楽よりもリスナー数が少なかったし、
「いい邦楽がどんどん出て来ているんだから洋楽は聞かなくてもいい」
「そもそも英語の歌に興味ない」
と言う人達も多いと思う。
でも、洋楽には邦楽とはまた別の良さがあって、その別の良さというのは
触れたことがない人には分からないもの。
「別のもの」を「異質のもの」に置き換えることもできる。
そして異質のもの、新しいもの、ユニークなものに触れて、
インスパイアされる時、
新しい感情や、感性や、感覚が、自分の中に芽生えるのです。
たとえば今、世界的にも成功を収めているONE OK ROCKやきゃりーぱみゅぱみゅは、洋楽から得たインスピレーションを、日本人にしかできないやり方で表現する音楽を作ってる。
それは、「洋楽という文化の循環」がきちんと機能していた時代に彼らと彼女が育ったからだと私は思うのです。
でもその循環がなくなったら?
完全になくなるわけではないと思う。さっきも書いたけど、インターネット上では全てが循環しているのだから、求めようと思えば洋楽はいくらでも聞ける。しかも無料でも聞ける。
私は洋楽を循環させたい。
ブログを始めた1年前は、これは夢を実現するためのヒントを書くブログで、このブログを見たことがきっかけで、一人でも多くの人が洋楽の中にも好きな音楽を見つけてくれたらいいなという思いだったのだけれど、
最終的に目指すところは、たぶんそれなんだと思う。
なんでそんなことがしたいのかっていうと
洋楽が大好きだから、それに尽きると思う。
なぜ洋楽が大好きなのか、はまた別の機会に書きますね。
Dreaming is Living!
これからも宜しくお願いします。
ルーカス・グラハム
まだプリンスがこの世界にいないということになじめずに、
なんとなく日々をやりすごしているのだけれど
どうしても4月中に紹介しておきたかった新人の記事を書こうと思う。
ルーカス・グラハム。
北欧デンマークですでにトップクラスのスターになっている新バンドだ。
その人気がデンマークからヨーロッパに飛び火し、
昨年冬頃からアメリカでも「7イヤーズ」というシングル曲がラジオでヒットを始め、
ついに今年の4月、世界デビュー。
4月20日、日本でもアルバム『ルーカス・グラハム』が発表になった。
このアルバムは全英チャート2位、全米チャート3位を記録している。
まず、この曲聞いて下さい。
Lukas Graham - 7 Years [OFFICIAL MUSIC VIDEO]
これではまらない人は他の曲にもはまらないかもしれないけれど、
アルバムの音楽性はこういうしっとりとした曲だけでなく、
パーティ・ソングから一緒に大合唱できる曲まで実に様々で、
そのどれもが信じられないほど素晴らしい。
そしてサウンドだけでも充分に驚異的なのに、
このバンドの魅力はルーカスの歌詞を読むとさらに倍増します。
「僕が7歳だった頃…」と始まる「7イヤーズ」は、
このバンドのマネージャー的な存在だったルーカスの父親が61歳で亡くなってしまい、
その悲しみからルーカスが暴飲暴食の生活になってツアー中止にまで至った経験を乗り越えた後
レコーディング・スタジオに入って初めて書いた曲。
だから途中で「僕もいつか60歳になる」という歌詞が出て来るのです。
この曲に限らず、アルバム『ルーカス・グラハム』の大半の曲が、
ルーカスのお父さんとの別れにインスパイアされて誕生しています。
そこで繰り返し伝えられるメッセージは
家族がいかに大切なものであるか
ということ。
アルバムの曲を聴いていると
彼がどんなに愛に溢れた家庭で育ったかが伝わってきて胸が熱くなると同時に、
このまっすぐで純粋な気持ちを綴ったメッセージが、
今、彼らの音楽が世界中の人達に愛されている理由の一つなのだろうとも思います。
デンマークの少年合唱団に所属していていたルーカスのいまだに少年のような美しい歌声とヒップホップに影響を受けたリズミカルでユニークな歌詞、
そして子供の頃から音楽をやっているベーシスト、ドラマー、キーボーディストの3人が繰り出す最高に気持ちのいいバンドサウンド。
はっきり言って、彼ら今年の一押しです。
というかここ数年の間に出て来た新人の中で、一番凄いポップ・ミュージックをやっていると思う。革新的と言ってもいいぐらい。
ルックスは正直垢抜けてないし、アイドルっぽくないのだけれど、
本国ではコンサート会場の前の方を埋め尽くしているのは10代前半のキッズだそう。
先日サンフランシスコで取材をしてコンサートを観て来たのですが、ライヴも桁外れに上手く、
ラストはあまりの素晴らしさに涙しました。
地元コペンハーゲンでは2件のレストランを共同経営し、母親に家を買ってあげて、
「もう買いたいものなんかないんだ」と言えるほど成功しているルーカス。
このバンドで叶えたい夢は?
「一番のゴールは物語を伝えることだと思う。目標についてはバンドで沢山話し合ってるんだ。
結局、大事なのはナンバー1ソングでも何かの賞でも金や名声でもなくて、人々の前でパフォーマンスをすることなんだ。そこで得られる喜び、人々と繋がる感覚は、とにかく驚異的なんだよ。言葉では説明できないくらいね」
博識なルーカスは日本についてもすでに色々知っていましたが、日本でショウをやることも今の夢だそうで、「ずっと生きたいと思ってた国に、仕事で行けることになるなんて最高だよね! 本当に早く行きたいんだ!」とかなり興奮気味に語ってくれました。近々来日公演が実現することを願っています。
ちなみにやたらと熱いCD解説を書きましたので、気に入ったら日本盤の『ルーカス・グラハム』を購入していただけると嬉しいです!
歌詞が肝なので、英語の歌詞と対訳を照らし合わせつつじっくり味わって欲しい超名盤です。
Dreaming is Living!
Enjoy your Golden Week!!
プリンス
プリンスが亡くなった。
21日の午前10時過ぎ、旧友がわざわざ電話で知らせてくれた。
大泣きしてから怒りが沸き上がり、その後は感覚が麻痺したみたいに無感覚になって、
それから「嘘だ」と事実を否定して現実逃避するというモードを経て、
深夜のニュース番組とプリンスの追悼特番を見ながら「プリンスの代表曲は“パープルレイン”だけじゃない」と文句をたれて、布団に入って朝を迎えて、今日(アメリカ時間22日)に至る。
大好きなアーティストは挙げきれないほど存在するけれど
プリンスほど私に大きな影響を与えた人はいない。
中学生の時にききかじるようになった洋楽で
一番最初にはまったのがプリンスだった。
それからはずっと一番好きなアーティストで、
大学生で初めて武道館公演を観てさらにはまって
彼のアルバムの解説を書いている音楽評論家、渋谷陽一氏に憧れて
その時に書いた作文が、プリンスの『エマンシペーション』のレビューだった。
叶わなかったけれど、いつかプリンスに取材するというのは最大の夢だった。
アメリカに移住してからはプリンスの故郷ミネアポリスのペイズリーパークでの
イベントに2回行った。
2000年前後、プリンスは誕生月の6月、
一週間に渡ってペイズリーパークスタジオにファンを集めて
ショウを行うという特別なイベントを何度か行っていたのだ。
あの時に友達になった日本のファンの人達と、
世界各国から来ていたファンのことを思い出した。
プリンスのファンは本当に熱狂的で、
皆がほぼおっかけだった。どこまでおっかけるかというと、
故郷の街までおっかけてしまうのだからすごいものだ。
でもそれだけでビジネスが成り立つほど、プリンスのファンは熱心だった。
このイベントでは、他のアーティストがショウをやるのがメインだったのだが
そこにプリンスがゲスト出演したり、
朝方になってアフターショウに出て来たりするのがハイライトで、
皆が連日朝までパーティをしているのだった。
イベントに出演するのはプリンスが個人的に好きなアーティストで、
デビュー前にアリシア・キーズを観たのが、ペイズリー・パークだった。
最後に観たプリンスのショウは、ちょうど今日から5年前、2011年の4月22日。
その時、サプライズでアリシア・キーズが登場して、素晴らしいデュエットを披露してくれた。
数えきれないほどショウをプリンスのショウを観た。
毎回、この世のものとは思えないほどの音楽体験だった。
そしてプリンスの長年のファンは知っていることだけれど、
彼は3時間近くコンサートをやってから
ファンしか知らない会場でアフターショウをやるのが好きだった。
人間業とは思えない最高のコンサートを披露した後で、
朝になってプリンスはクラブに出没して、
この上なく楽しそうに他のアーティスト達とジャムって見せるのだ。
このスタミナと才能は人間じゃないと何度も思った。
もっと観ておけば良かった。当たり前のように、まだまだ観られるものだと思っていた。
今日検屍が行われたが、結果は数週間後まで分からないとのことだ。
また改めて彼の音楽について書きたいと思う。
R.I.P. Prince
エリー・ゴールディング
イギリスの歌姫エリー・ゴールディングが、
4月7日、ロサンゼルスで初めてのステープルズ・センター公演を成功させました。
映画『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』の主題歌でグラミー賞にノミネートされた「ラヴ・ミー・ライク・ユー・ドゥー」の大ヒットのおかげで
そのステージを一段上に上げてファンが倍増したエリーですが、
振り返れば2011年にアメリカでリリースされたデビュー・シングル「ライツ」も、かなりヒットしていました。
でもヒット曲っていうのはすぐにライヴの集客力になるわけではなく、
新人アーティストはたいてい、数百人規模の小さなライブ会場から始めて
ファンを増やすとともに会場を大きくしていくというステップを踏むことになります。
エリーはロキシーという老舗クラブで最初のロサンゼルス公演を行い、
次にトルバドールというロキシー以上に歴史のある有名なクラブでの公演を完売にし、それからケイティ・ペリー、ブルーノ・マーズの全米ツアーの前座をつとめて今回遂に自分がヘッドライナーでアリーナを回る全米ツアーに出ることになりました。
トルバドールの公演を観ていたこともあって、エリーがここまで登り詰めたことに感動。
エリーもステープルズ公演が実現したという感激が押さえきれなかったようで「ここでショウをやってるなんて信じられないわ」と
私のハートをぶち抜きする笑顔で言っていました。
今年2月に出た3作目『デリリアム』からの曲を中心に、
4人の男性ダンサーをしたがえて踊りつつ歌う曲、
自らギターを弾きながら歌う曲、
一点で動かずに歌い上げる曲をバランスよく織り交ぜた構成。
派手な演出はないシンプルなステージだったけれど、
彼女の歌声とパフォーマンスだけで会場全体がダンスフロアと化していて、
最高に楽しかった。
スターになってどれだけ大きな成功を収めても、
「こんなことが起こってるなんて信じられない」と感動できるって
とても素敵なことだなと思います。
Ellie Goulding - Something In The Way You Move
Dreaming is Living!
このショウ、友達からのプレゼントでした。
夢を叶えてくれてありがとう♡
ジェイムス・ベイ
ここ数年、私の夢の一つになっていることがあります。
アメリカの音楽シーンでもっとロックが盛り上がりを見せて欲しい!
私はアメリカントップ40が大好きでアメリカに移住したわけですが、
トップ40の中でも80年代を過ごした思春期に一番影響を受けたのがロックだったんです。プリンス、エアロスミス、モトリークルーが私の中では御三家。
ロックに受けた衝撃っていうのは、他のどのジャンルにもないものだったし、当時のロックって本当に衝撃的な音楽だった。
だからといってギターの音にすごくはまったりということはなくて、曲を聴く時はヴォーカルを中心に聞いてるんだけど、でもロックってやっぱりギターがあってなんぼの音楽。
そのロックが2000年代に入ってから、ほとんどアメリカのラジオで流れなくなってしまったんですね。そのせいで売れてるロックバンドまで、ギターのサウンドを抑えた不自然なロックを作るようになってしまった。
それはヒップホップがロックを超えてポップスと肩を並べるメジャーな音楽になったことと、そのヒップホップに対抗するように盛り上がりを見せた新しいポップスがEDMであったこととも関係してるんだけど
とにかく「ロックは売れない」というアイディアがいつのまにか既成事実になってしまって新しいロックバンドやロック系のアーティストが出て来れなくなってしまった。
特にアメリカはもうここ10年位そういう音楽シーンの中にいる。
でも去年位からその流れが変わって来ていて、ギターを軸にしたロックが段々人気を取り戻して来ているんです。それはアメリカから起こったんじゃなくて、イギリス、あるいはヨーロッパから来ている流れ。
ギター一本でアリーナ/スタジアムを完売にしてしまうグラミー賞受賞アーティストの
エド・シーランの成功もこの流れに追い風をかけていると思うけれど、
去年イギリスから大物ロック・スターになれる真打ちが登場したのです。
それが、ジェイムス・ベイ。
作夏、アップルミュージックのCMに「ホールド・バック・ザ・リヴァー」という曲と共に登場して話題になったジェイムスですが、今年2月、ついにデビュー・アルバム『カオス&ザ・カーム』が日本でも発表されました。
ジェイムスは3月頭に初来日公演を終えて、夏はサマーソニックへの出演も決定、
さらに人気が高まっているところではないかと思います。
このアルバムはもともと2015年の3月に欧米で発表されていて、イギリスでは初登場一位を獲得。
アメリカは一足遅れていましたが、夏以降にラジオでシングルの「レット・イット・ゴー」がヒットするにつれて人気がじわじわと浸透、
12月に行われたツアーのロサンゼルス公演(写真)は、完売で大盛況でした。
ファン層は、25歳のジェイムスと同年代のオシャレな男女。バーバリーのモデルにも抜擢された端正な顔立ちの英国青年ジェイムスと彼の曲のイメージがオシャレだからこういう層を惹き付けるのだろうけれど実際の彼はブルース・スプリングスティーンやローリング・ストーンズに影響されているだけあって、「ロックンローーール!!」なノリ。観客に叫ばせたり歌わせたり、やたらと熱いロックなショウで、興奮しっぱなしでした。
去年の9月末に電話取材をさせていただいたのですが(『インロック』2015年11月号掲載)、11歳の時にギター好きのお父さんにデレク・アンド・ザ・ドミノス(エリック・クラプトンの所属していたバンド)の「いとしのレイラ」を聞かされてぶっとばされ、「これだ! 自分もこれがやりたい!」と、ギターを独学で弾き始めたのが始まりだと聞いて、ギタリストとしてすごく優秀なのも納得。
ロックが全盛だった頃は、ロックスター、特にギタリストのかっこ良さに憧れてバンドを始めるギターキッズが沢山いて、彼らが新しいバンドとしてシーンに出て来てさらにロックを活性化させていたのだけれど、ジェイムスの年代、20代の若者達はもうエリック・クラプトンなんて知らないのが当たり前。
でもお父さんのおかげで、ジェイムスはギターキッズになったのです。
そして今、このかっこいいジェイムス・ベイが世界的に人気になることで、
彼に影響されたギターキッズがきっと沢山出てくるはず!そしてロックは再熱する!! と私は思っているのです。
とはいえ、彼はマイケル・ジャクソンやアデルも好きで、お母さんが好きだったモータウンの曲もよく聴いていたそう。だからギター・ロック一直線ではない柔らかさや素敵な雰囲気も持ち合わせていて、それがロックを聴いたことのない女子にもはまるのではないかなと思います。
今年のグラミー賞ではトリ・ケリーと素晴らしいパフォーマンスを披露してくれた彼。
受賞は逃したものの、3部門でノミネートされたことについての感想を
レッドカーペットで次のように語っていました。
「ノミネートされたのを知ったのは、アビースタジオでのリハーサルに行く車の中だったんだ。初めてのオーケストラと一緒のリハで特別な時間だったんだけど、
その後別の場所にロンドンを移動する間にツイッターでノミネーションをチェックをして知ったんだ。その日がノミネーション発表日だって知らなくて、1部門は気づいたんだけど、「あと2部門でも受賞されてるよ」って言われて。
ドライバーが座席の下にビールを隠してたから、これは便利と祝ったよ!」
そんなジェイムス・ベイの夢。
「永遠に音楽をやり続けること。みんなが大好きになってくれて、共感してくれる素晴らしい音楽を作り続けて、その音楽を世界中でプレイしたい。日本でも、他の国々でも、永遠にね」
終わりのない、素敵な夢ですね。私もシニアになっても彼のライヴで一緒に叫びたいです。
こちらは先日アメリカで100万枚のセールスを突破したプラチナム・シングル「レット・イット・ゴー」のPV。
もし気に入ったら『カオス&ザ・カーム』もアルバムを通して聴いてみて下さい!
Dreaming is Living!
東京はちょうどお花見の時期のようで、羨ましいですー!
Have a wonderful sunday!
第58回グラミー賞授賞式裏話ーーセレーナ・ゴメス
幸運にもお誘いをいただいて、久々にグラミー賞授賞式に行ってきました。
グラミー授賞式は、老若男女そうそうたるメンツのパフォーマンスが一度に見られて、
しかも一階席にアーティストとセレブが勢揃いで座ってるという超シュールな空間。
でもステープルズ・センターって18000人入る巨大アリーナなので、
一般席の大半はスクリーンで確認しないと分からないほどパフォーマーが小さいから
ぶっちゃけTVで見た方楽しめるし、TVで見た方がおそらく起こっていること全てを理解できる。
そんな中で観に行ってレポートできることって何だろうと思ってたのですが、輝くネタがありました。
私的にこの夜の裏主役は、セレーナでした。
まずテイラーはインスタグラムでセレーナとレッドカーペットでの2ショットをアップ、「大したことじゃないのよ、最高にセクシーなデートと一緒に来たわ」と自慢。
普段あまり肌を露出しないことで知られているディズニーチャンネル出身のセレーナは
珍しくセクシーなドレスで登場。
テイラーと一緒にステージ真ん前最前列席に座っています。
CM休憩に入ってどこかに移動する時もテイラーとセレーナは一緒。
テイラーがセレーナの手を引いていました。
そして同じ会場に、元カレのジャスティン・ビーバーがいたわけです。
私はこの2人のゴシップが面白すぎて、
前々から脳内で色々と妄想をふくらませているのですが
いまだにジャスティンはセレーナが大好きというのが私の妄想。
だからこの夜のジャスティンのパフォーマンスはむちゃくちゃ大事で、
彼はむちゃくちゃ気合いの入った歌と踊りを見せてくれたと思う。
そして「アルバム・オブ・ジ・イヤー」を始めとする3部門を勝ち取ったテイラーにも、セレーナは長年大親友として愛されてる。
セレーナ、すごいよ。
何がそんなに魅力なの?
と思う人がもしかしたらいるかもしれないけど、
この可愛いベイビーフェイスにハスキーでセクシーな歌声が独特の魅力で、
チャリティ活動に真剣に取り組む真面目さや人当たりのよさ、
子役として子供の時から業界にいるのに飽きられることもなく
若者達に支持されているところなどなど、どこをとっても非の打ち所がない。
そしてセレーナはテイラーが「アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞した時、
今にも泣きそうな喜びと尊敬の混じった眼差しでテイラーを見つめていました。
これはTVじゃないと見れなかった部分だけれど、感動したのはその後。
テイラーの受賞スピーチがおわってCM休憩に入ると、
セレーナは待ちきれなかったというようにその場でピョンピョンと飛びはねて喜んで、
その後ステージ上のテイラーに会いに階段を駆け上がっていったのです。
可愛すぎるーーーーーー!
皆に愛されないわけがないわ。
そして二人は仲良くステージ裏に消えて行きました。
セレーナ、新作からぐっとオトナ路線になって
落ち着いたセクシーな曲が多いので、オトナ女子にもおすすめです。
ぜひチェックしてみて下さいね。
Selena Gomez Hands To Myself Music Video YouTube
Dreaming is Living!
たまには妄想も楽しいよね、春だし