Dreaming Is Living

LA在住の音楽ライターが夢実現のヒントを綴ります

プリンス

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プリンスが亡くなった。

21日の午前10時過ぎ、旧友がわざわざ電話で知らせてくれた。

大泣きしてから怒りが沸き上がり、その後は感覚が麻痺したみたいに無感覚になって、

それから「嘘だ」と事実を否定して現実逃避するというモードを経て、

深夜のニュース番組とプリンスの追悼特番を見ながら「プリンスの代表曲は“パープルレイン”だけじゃない」と文句をたれて、布団に入って朝を迎えて、今日(アメリカ時間22日)に至る。

 

大好きなアーティストは挙げきれないほど存在するけれど

プリンスほど私に大きな影響を与えた人はいない。

中学生の時にききかじるようになった洋楽で

一番最初にはまったのがプリンスだった。

それからはずっと一番好きなアーティストで、

大学生で初めて武道館公演を観てさらにはまって

彼のアルバムの解説を書いている音楽評論家、渋谷陽一氏に憧れて

ロッキングオン』の契約社員に応募したのだった。

その時に書いた作文が、プリンスの『エマンシペーション』のレビューだった。

叶わなかったけれど、いつかプリンスに取材するというのは最大の夢だった。

 

アメリカに移住してからはプリンスの故郷ミネアポリスのペイズリーパークでの

イベントに2回行った。

2000年前後、プリンスは誕生月の6月、

一週間に渡ってペイズリーパークスタジオにファンを集めて

ショウを行うという特別なイベントを何度か行っていたのだ。

あの時に友達になった日本のファンの人達と、

世界各国から来ていたファンのことを思い出した。

プリンスのファンは本当に熱狂的で、

皆がほぼおっかけだった。どこまでおっかけるかというと、

故郷の街までおっかけてしまうのだからすごいものだ。

でもそれだけでビジネスが成り立つほど、プリンスのファンは熱心だった。

 

このイベントでは、他のアーティストがショウをやるのがメインだったのだが

そこにプリンスがゲスト出演したり、

朝方になってアフターショウに出て来たりするのがハイライトで、

皆が連日朝までパーティをしているのだった。

イベントに出演するのはプリンスが個人的に好きなアーティストで、

デビュー前にアリシア・キーズを観たのが、ペイズリー・パークだった。

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最後に観たプリンスのショウは、ちょうど今日から5年前、2011年の4月22日。

その時、サプライズアリシア・キーズが登場して、素晴らしいデュエットを披露してくれた。

 

数えきれないほどショウをプリンスのショウを観た。

毎回、この世のものとは思えないほどの音楽体験だった。

そしてプリンスの長年のファンは知っていることだけれど、

彼は3時間近くコンサートをやってから

ファンしか知らない会場でアフターショウをやるのが好きだった。

 

人間業とは思えない最高のコンサートを披露した後で、

朝になってプリンスはクラブに出没して、

この上なく楽しそうに他のアーティスト達とジャムって見せるのだ。

このスタミナと才能は人間じゃないと何度も思った。

もっと観ておけば良かった。当たり前のように、まだまだ観られるものだと思っていた。

 

今日検屍が行われたが、結果は数週間後まで分からないとのことだ。

また改めて彼の音楽について書きたいと思う。

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R.I.P. Prince