Dreaming Is Living

LA在住の音楽ライターが夢実現のヒントを綴ります

クリス・コーネル


Saturday Sessions: Chris Cornell performs "The Promise"

 

3ヶ月もブログをさぼっていたのに明るい話題じゃなくて

申し訳ないのだけれど、自分のためにこの記事を書きます。

アメリカ時間17日夜、

私がずっと世界一の男性ヴォーカルだと崇めていた人が亡くなった。

サウンドガーデン、テンプル・オブ・ザ・ドッグ、オーディオ・スレイヴと、

90年代、2000年代を代表するロックバンドのフロントマンをつとめ、

素晴らしいソロ・アルバムも4枚残したクリス・コーネル

昨日は目が腫れるまで泣いていた。

一番悲しかったのは、20年近くファンなのに

クリス・コーネルを私と同じぐらいの熱量で愛している友達がいなくて

(いつも一人でコンサートに行っていた)

ものすごい孤独感を感じたことだったかもしれない。

プリンスの時は、一緒に悲しむ人がいた。

それでもブログを書く気になれなかったので、辛さでいうと

プリンスの時の方がショックだったのかもしれないけれど、

プリンスを天に奪われて、その1年後にこれなので、

「もう耐えられない」という気分になった。今でもそんな気持ちでいる。

こんな風にアーティストに友人と同じ位の思い入れを感じるのは

私が音楽ライターという仕事をしているからかもしれないけれど、

彼に2度取材して、

自分がヒーローと崇めている人が理想よりもいい人だったことに有頂天になった

思い出があるばかりに、より辛い。

今でも取材の時に、彼が冗談を言って笑わせてくれた時の声が蘇る。

昨日は一日中、ネットでファンのコメントを読みあさって、夜寝る前に

リンキン・パーク(ヴォーカルのチェスターはクリスの友人だった)がJimmy Kimmel Liveという深夜のトーク番組で、

ニューアルバムからの名曲「ワン・モア・ライト」をクリスへの追悼として

パフォーマンスしたのを見て、チェスターが泣くのを堪えながら熱唱している姿に

「私も悲しい、チェスター、ありがとう」と大分救われて眠りについた。

 

サウンドガーデンは、90年代にグランジ・ブームを牽引したバンドの一つだが

パール・ジャムニルヴァーナに比べると

日本ではそれほど大きなヒットをしなかった。

だからクリスの名前も、アメリカほど知られていない。

けれど、彼の歌声は本当に世界遺産級で、

ソングライターとしても、ビートルズに影響を受けているだけあって

ジョン・レノンの「イマジン」に通じるような、

大方の人にはナイーヴに思われるかもしれないけれど、

人生の真理を鋭く突いた、理想や夢を綴った美しい曲をいくつも残している。

その夢や理想は、彼自身が深い闇を抱えて生きた経験から出てくる

すごくリアルなものだった。

クリスはアルコールと処方箋薬にはまっていた時期があり、

10年以上前にそれを乗り越えてクリーンになった。

私もほぼアル中だった時期があるので、

クリーンになってから、ソロで思いきりやりたい作品をつくり、

2010年代に入ってからは、ありえないと思われていたサウンドガーデン

再結成も果たし、美しい妻子に囲まれて幸せに暮らしている彼の姿は、

私の希望の星でもあった。

その星の光が、いとも簡単に、突然消えた。

人って、ほんとうに、簡単に、死んじゃうんだね。

 

2007年2月、彼の2枚目のソロ『キャリー・オン』が出る直前に

オフィシャル用の取材をした。

私のキャリアの中でも、一番心に残っている取材の一つだ。

ここに全文を掲載する。

この記事には入っていないが、「私もかなりアルコールで問題を抱えてて、

あなたがクリーンになって活動しているのは心から尊敬しています」

と伝えたら、笑顔になって「そうなんだ! じゃあこの取材の後も飲むのかい?(笑)」と冗談で返してくれた。

 

声だけでなく、ルックスもハリウッド男優になった方がいいんじゃないかと思うぐらい

美しい人だった。ハスキー犬のような、整っているけれど愛らしい顔だった。

そんな人でも、死ぬ時は来るんだよね。

でもそれは、今じゃなかったはずだった。

 

私みたいに泣いている人が、この記事を見つけてくれたらいいなと思う。

 


ーー今日はお時間とっていただき、ありがとうございます。
「どういたしまして」
ーーそして、新たなマスターピースを作ってくださってありがとうございます。
本当に素晴らしいアルバムですね。『ユーフォリア・モーニング』も大好きなアルバムですが、新作はもっと気に入りました。
「本当に? ありがとう! カメラに向かってどれだけ気に入ったか言ってやってよ。何て言ったんだっけ、マスターピース?」
ーーマスターピースです。
「日本語で言ってみてよ。もう俺が話す必要ないね」
ーーご自分でもそう感じませんか?
「いや、自分のレコードとなると、一体何がマスターピースになるのかさっぱりだね。彼(壁にかかっているシド・バレットの写真を指差して)はピンク・フロイドのファーストでそういうアルバムを作ったと思う。でも自分のレコードに関してはそういうコメントをするのは不可能に近いね。客観的に見られないし。でも今作に収録された曲は、全曲すごく気に入ってる。それにこれまでになく特別なアルバムが作れたと実感する瞬間もあった。その一方で、すごく批評的な耳で聞いて、次のアルバムでは何をしようかってことで頭が一杯になったりもしてね。だけど常に次のことに目を向けるってヘルシーだと思う。レコードを作る人間には典型的なことじゃないかな。大体、既に起こってしまった過去にこだわってばかりの人間は、将来あまり多くを生み出せないものだからね(苦笑)。でも本当に今作には満足してるよ。このアルバムで一番重要だったのは、その過程を楽しむことで、実際俺は楽しんだんだ。曲を書きながら一緒に歌っ
て、その日の終わりに満足感を得られて、他の人達がどう感じるか、どう解釈するかを心配することもなく、自分の歌いたいことを歌えたからね。スタジオに
入ってプロデューサーや他のミュージシャンと作業を始めたところで、これはうまくいくっていう感触を得られたんだ。長年の経験から、分かるようになった
ことなんだけどさ。俺は本当に沢山のレコード(今作が13枚目)を様々な形で発表してきて、どういうものになるかっていうのは大体分かる。俺はレコードを作り直したり、不可解なパズルを組み合わせたり、みたいな事はしたことがないからね。いい曲のはずなのに、なんでいい曲に聞こえないんだろうとか、楽器の弾き方やプロデュースの仕方が分からないとか、俺はもうそんなことは心配しなくなった。それに、大してミステリーでもないんだよ。本当に気に入った曲が書ければ、その先は達成できるものなんだ。マイクを用意して、楽器を演奏して歌えばいい、それだけだからね」
ーーでも、ソロとしての曲作りと、バンドとしての曲作り、またはレコーディングはどのように違うものなのでしょうか?
「歌詞に関しては、さほど違いはないね。最も違いが出るのは、音楽の作り上げる環境が、歌詞の内容やテーマを形成することになる場合だろうな。だから歌詞のテーマには違いが出るかもしれない。でも楽曲に関しては、完全に別物だよ。全てが俺の頭の中で起こっているからね。試しにコードを変えてみるのも、
正しいキーを見つけようとするのも、コードに重ねる正しいメロディにしても、全て俺の頭の中で、突然テンポがおかしいと気づいて調整したりして、その間全くコミュニケーションが含まれないからね。俺だけでやってるから、他の人の意見も介入しない。これまでに、他の人の意見が役に立った時は多々あったけど、でも今の俺にはもう必要ないんだ。自分がやることに自信を持てるようになったからね。それで直感的になって意識を全開にして、今まで俺が思いつかなかったようなアイディアに辿り着けるかどうか試したかった。俺の脳は常に忙しくて、休むことがないんだよ。それって必ずしもいいことじゃない。あまり考えすぎるといい音楽はできないと思う。画家にしても、頭で考えすぎるといい絵が描けないんじゃないかと思うし」
ーー楽器は全部ご自分で演奏したんですか?
「いや、キーボードを少しとギターだけ。全部自分でやってみたい気持ちはあるんだ。デモでそれをやって、好きだと思える面もあったんだけど、結局それを創り直した。デモで他の人では表現できないだろうと思ったギター・パートは俺が弾いたけど、ちゃんとミュージシャンの音が聞こえるアルバムにしたかったんだ。一人のミュージシャンで全部創ったアルバムって多いけど、いつもどういう訳か、冷たい感じに聞こえるんだ。俺は上手くやれる自信もあるんだよ。デモにはある種のエネルギーがあったしね。ただ問題はリズム感覚で、一人の人間がドラムと、ベースと、リズム・ギターを弾いていたら、全てがそのリズム感覚に基づくことになる。もう息をする生き物みたいな曲じゃなくて、機械的な動きになってしまうんだ。常にドラムの上にギターとベースを重ねた、同じようなものになってしまうんだよ。それによって冷たさや距離感が生まれてしまう。このレコードはそれとは反対のやり方でレコーディングされたんだ。最初の12曲の基礎は全部、アコースティックで作った。マイルズ・モウズリーがアコースティック・ベース、大半はアップライトを弾いて、キャメロン・グライアーがアコースティック・ギターを弾いて、ドラムはニア・ジーが叩いて、俺が歌ったんだ。その後エレクトリックのもの、エレクトリック・ギターやキーボードを重ねた。最初アコースティックで始めて、その後色々と楽器を入れ替えたりもしたけど、ドラムとアコースティック・ベース、アコースティック・ギターだけの時点で多くの曲が最高の形に仕上がっていたんだ」
ーーゲイリー・ルーカスがゲスト・ギタリストと聞いたんですが、どの曲で参加しているんですか?
「アルバム全部だよ。どの曲にも少しづつ参加してる。ただ、最後にレコーディングした4曲は一緒にできなかったんだけど、それ以外の10曲は全部」
ーーなるほど。今作には素晴らしいギター・ソロが沢山収められてますよね。
「ああ、ゲイリーのおかげだよ。でも彼の他にディミトリ・コーツというギタリストが、参加してくれてて、“ユア・ソウル・トゥデイ”の最後のソロとか、“ポイズン・アイ
ズ”のメロディックなパートとか、“ノー・サッチ・シング”、“キリング・バーズ”でね。それからブライアン・レイっていう、今ポール・マッカートニーのツアーでプレイしてるギタリストも何曲かで参加してくれて、彼が“キリング・バード”のソロを弾いてくれたんだ。すごく気に入ってる。俺もソロを弾いたけど、俺はそういうタイプのギタリストじゃないから、やったのは3曲ぐらいかな。その他は、ゲイリー・ルーカスだよ。彼のソロの解釈は本当に素晴らしいんだ。少しサウンド・ガーデンのキム・セイルを思わせるところがあった。制御できないギター・パフォーマンスっていうかね。とにかく曲を弾き始めて、時には4回、5回、6回と繰り返す時もあったけど、確実にこれだっていうものが出る瞬間があって、それが驚異的なんだ」
ーープロデューサーのスティーヴ・リリーホワイトを起用した理由は?
「彼は様々な作品を手がけているけど、どれもヘヴィ・ロック、リフ・ロック主体ではないところが良かったんだ。例え俺がそういうヘヴィ調の曲を作りたいと思ったとしても、そういう音楽のレコーディング方法に関して既に考えが固まっている人とは一緒にやりたくなかった。そういうプロデューサーが作った曲で納得できるものってあまりなかったからね。俺はプロデューサーにそれほど重きを置いたことはないんだけど、でも彼はこれまでに優れたアーティスト達と多くの優れた曲を生み出してきてるから、それも様々な形でね。プロデューサーと仕事をする上で魅力なのは、常に学ぶ可能性があることで、だから何か学べればいいなと思って……今思うと、彼から何を学んだか良く分からないんだけどね(笑)。卓球のうまいプレイ方法は教えてくれようとしてたな」
ーー(笑)それは面白いエピソードですね。
「でも、彼は多くのものを加えてくれたよ。特にミキシングの段階でね。彼は曲を彫刻して形を整えるのが好きで、それにすごく時間をかけて、それによって
最初から最後までパフォーマンスのように曲が流れるようになった。それから彼は忍耐強くて、それを集中してやれるんだ。俺は根気がないからさ。かなりせっかちなんだ。だからその点で彼との作業はすごく上手く行ったんだよ。俺は自分が好きなものに関しては徹底してるからね、彼の調整は見事だったよ」
(パトカーのサイレンの音)
「じゃ、俺はこれから刑務所に行かなきゃならないんで」
ーー何の罪で(笑)?
「覚えてないけど」
ーー今作が素晴らしい点は、前作よりもより幅広く、そして深くなっているところだと思うのですが、その理由って分かりますか?
「いや(笑)」
ーー特にそれぞれの曲に非常に多様性があって、曲毎に全く違うテイスト、雰囲気がありますよね?
「多分その理由の一つは、最初にスタジオで曲を全部作り終えた後で、また曲を作れたことじゃないかな。12曲レコーディングして、それと“ユー・ノウ・マイ・ネイム”があったから、もうこれでアルバムが完成したって感じたんだ。それでもう作曲する気がなくなった。でもスタジオでスティーヴがミキシングしている間、俺はずっとその部屋にいるわけじゃなかったから、いや、やってもいいなって思ってさ。ミキシングの間に俺は家に戻ってまた数曲書いたんだよ。1週間ほどあったから、その6、7日の間に家で“ポイズン・アイ”と、“ユア・ソウル・トゥデイ”を書いたんだ。よりロック調の曲だけど、広範囲の領域を包含したから、また違うものもやってみたくてね。特に何も気にせずにこれらの曲も書いた。そしてレコーディングして、ミックスして、終わったん
だ。スティーヴはNYに戻って、その後俺はヴァケーションを取って、その間にレコードのリリース予定日がちょっと先に延びて、また時間ができた。それで、やらなきゃいけない理由はなかったんだけど、また楽しみで何曲か作りたくなってさ。“ノー・サッチ・シング”を書いたんだ。これでもう何も言いたいこともないし曲も作ることないなって思ったんだけど、そんなことを考えるんだから、じゃあ完全に異なる曲でもやってみようかって思って、それで“キリング・バーズ”が生まれたんだ。ドラム・マシーンを使って、これといった考えもないままに作った曲なんだけど、お気に入りの一曲になったよ」
ーーこの作品の中には昔書かれた曲もあるんですか? あなたがオーディオスレイヴに加入する前に、セカンド・アルバムの制作にとりかかろうとしていた覚えがあるんですが。
「いや、あの時はまだ何も書いていなかったんだ。だから全曲、去年作った曲だよ」
ーーなるほど。私が今作で一番気に入った曲の一つが、“ホヴァー”なのですが、あまりの美しさに涙が出そうになりました。
「本当に?(カメラマンに)彼女、泣きそうになったってさ」
ーーええ。この曲のメロディを思いついた瞬間って覚えてますか?
「ある程度段階を踏んでるから、その瞬間がいつだったのか思い出せないな。歌詞を書いた時のことは覚えてるよ。この歌詞は何回も書き直したんだけど、最
初は妻に詩のような歌だったんだ。メロディを頭に思い浮かべながら、妻にメールを送って、それがこの曲になったんだ」
ーーそれは素敵ですね。奥さんだけでなく、お子さんもいらっしゃるんですよね?
「ああ、今の妻との間には2人子供がいて、2歳半の娘トニと、14ヶ月の息子クリストフがいるよ。それから前の妻との間に、6歳の子供がいるんだ」
ーーお子さん達にインスパイアされて書かれた曲はありましたか?
「娘がまだ生まれる時から、それが歌詞に反映された瞬間が多少あったと思う。でも子供達に向けて曲を書いたり、子供達についての曲を書いたりしたわけじゃなくて、ただ子供達のおかげで人生観が変わったんだ。それで、よりポリティカルというか、世間に対して抗議するような曲が生まれた。今作の“サイレンス”は、世界の現状の懸念から書いた曲なんだけど、この不安感は昔の俺にはなかったものなんだよ。俺は子供達にクレイジーな世界や恐ろしい世界で生きて欲しくない。昔はそんなこと考えもしなかったからね。“セイフ・アンド・サウンド”にしても、似たような曲で、俺達がものを知らないっていうか、全ては完璧で何も問題ないと思っているんじゃないかっていう不安があってさ。俺が不安になった時に考えたことなんだけど、それはただ子供達のことが心配だからなんだ。子供ができる前は、こんな風に考えたことはなかった。道を歩いていてバスにはねられても、世界が爆発しても、それがどうした、って感じだったからね。でも子供が出来ると変わるんだ」
ーー素晴らしいことですね。その意味で“セイフ・アンド・サウンド”は歌詞も印象的ですが、音楽的にもすごく印象に残った曲で、おそらくあなたが今までに作った曲の中で最もソウルフルな曲に仕上がっていますよね?
「この曲は最初にメロディを思いついて、歌詞を書く前にギターに合わせてこのメロディをハミングしててたんだ。その時の俺はメロディックで、ムーディなピンク・フロイド風の曲を想像してたんだけど、レコーディングで歌詞を歌い始めたら、どういうわけかソウル・バラード風になってさ。その方が心地よく感じられる気がしたんだ。それでこういう曲になった。リード・ヴォーカルを送った後で、バック・ヴォーカルを加えたら、よりソウル風になった。でも俺は昔のソウル・レコードも大好きなんだ。特にこういうタイプのプロダクションがね。曲の頭でドライなヴォーカル・パフォーマンスが聴こえてきて、他はちょっとギターが入るぐらいで、そこからサウンドが大きくなっても、オーガニックなままでさ」
ーーこのアルバムのタイトルは『キャリー・オン』に決まったんですか?
「ああ」
ーー“キャリー・オン”という曲があったからですよね。
「“キャリー・オン”って曲を書いたんだ。このアルバムのために2番目に書いた曲だった。皆がこの曲名をアルバム・タイトルとして気に入ってくれててさ。俺にとっても納得できるものだったたんだ。タイトルにすごく頭を使って、音楽を描写するようなタイトルを考えたりする人もいるけど、俺はそういうのが好きじゃなくて、だから俺はタイトルをつけるのが苦手でね。何かクールで覚えやすいものにしたいと思ってたんだけど、“キャリー・オン”は今作の音楽を説明する言葉ではないけど、今作中のテーマとつながる部分があって、それで気に入った。“前に進む”っていうね。この曲はアルバムには収録されなかったけど、タイトルは気に入ったからさ」
ーー“キャリー・オン”は収録されないんですね。
「ああ、でもすごく気に入ってる曲だから、何かの形で発表するよ」
ーーええ、すごくいい曲ですよね。
「聴いちゃったの? ずるいね」
ーーなぜか視聴会で流れました(笑)。すごくいい曲でした。
「ありがとう」
ーー今作には“ビリー・ジーン”のカヴァーが収録されています。これまでマイケル・ジャクソンの曲は様々なアーティストが様々な曲でカヴァーをしていま
すが、“ビリー・ジーン”を選んだ理由は?
「これをロック・ソングにしたらすごくクールになるんじゃないかと思ったんだ。曲の最初に、タン、タン、タン、タンっていうキーボードのパートがあって、それをエレクトリック・ギターに変えたら、AC/DCの曲みたいになるんじゃないかって想像したんだ。かっこいい対照曲になるんじゃないかってね。でもやってみたら、バカっぽくなって。駄目だった。それでテンポを落として、曲を生かそうとしてみた。上手くいくかどうかは分からなかったんだけど、歌詞を口ずさんでさ。俺は時々曲を遅くし過ぎたり早くし過ぎたりしちゃうからね。でもスロー・ダウンしてみたら、うまくはまった。それからビートを取り除いて。それによって、歌詞がものすごく開かれたんだ。曲の焦点が、グルーヴ重視でフックのあるメロディのダンス・ソングから、歌詞が際立つバラードに移行したんだよ。歌詞が、強烈に感情に訴えかけるものになった。それをやってからは、もうこの曲をやるのが楽しくなってさ。俺は他の人の曲を変わった視点から見て、皆が驚くようなことをするのが好きなんだ。この曲をライヴでやったら皆も気に入ってくれてさ。ストックホルムのラジオ・ショウでやったヴァージョンを、マイスペースに載せて皆の意見を聞いてみたんだ。皆がすごく気に入ってくれた。だから他のミュージシャンとレコーディングしている間に、試しにこの曲もやろうと思って、最初はB面曲か何かにする予定だったんだけど、レコーディングしたらアルバムに入ることになるって確信した。すごくいい曲になったからね」
ーーそうですね。個人的にマイケル・ジャクソンの曲の中でもお気に入りの曲だったんですが、今はあなたの曲としてお気に入りの曲になりました。
「ありがとう」
ーーあなたは偉大なシンガーというだけでなく、優れたシンガーソングライターでもあります。あなたの歌詞は本当に美しいし、知性を感じます。例えば今作
の“ユア・ソウル・トゥデイ”に「君にソウル・フレンド(魂の友=運命の人)が要らないなら、今日俺は君のソウル(魂)になろう」という一節があります
が、こういう詞を書くために、日々の暮らしの中で常に美しい言葉や文を捜し求めているのでしょうか?
「ああ、全て覚えておくようにしているよ。その曲は空港で書いた曲なんだ。メロディが頭に浮かんできてて、ヴォーカルのメロディを考えている時って、そ
れに合わせて言葉も出て来るんだ。メロディと一緒に思い浮かぶ時も、そうでない時もある。言葉が浮かんでも意味を成さない時もあって、そういう時は後から考えなきゃいけない。でもこの時は、メロディと一緒にこの一節が浮かんだんだ。そこから曲のテーマも得たんだ。これは書き留めずに、記憶に留めておいた。記憶することは多いね。それと、これは多少認めるのが恥ずかしいんだけど、言葉や歌詞をブラックベリーに書き留めてるんだ。ここにメモ帳が入ってる
からね。常に持ち歩いてるし、わざわざ鉛筆を取り出す必要もない。ここにまだ書いていない曲の曲名がある。思いついて入れたんだ。“ノー・サッチ・シン
グ”や“キリング・バーズ”もここに入ってる。ここにタイトルを書いて、その下に歌詞が書かれてるんだ。だから飛行機で旅行中とか、これを持ち歩いてる
時はここに歌詞を書くようにしてるよ。小さいタイプライターみたいで便利だからね。こうして歌詞は覚えておくようにしてる。メロディはもっと生もので、
頭の中に出て来たものを、あ、これは曲にしよう、とかそんな感じなんだ。“ノー・サッチ・シング”の最初のメロディは、休暇中に家を出る直前に思いつい
て、二階に行ってテープレコーダーに歌を録音したんだ。それで休暇から戻って、そのメロディを基に曲を完成させたんだ」
ーー今日あなたがオーディオスレイヴを脱退したと知ったのですが、これは事実ですよね?
「そうだよ」
ーーその理由として音楽性の違いがあがっていましたが、最も食い違いを感じた部分はどこだったんですか?
「常にアグレッシヴな音楽に向かおうとする傾向があったことだろうね。あるいは、それとは別の方向性を試して、更に遠くへ進もうとする気がなかったこと
とも言えるかもしれない。俺にとってこの二つは同義だからね。どのバンドに関しても言えることだと思うけど、バンドには他のメンバーの音楽的な趣味や感覚が存在していて、それによって自分に制限が課されるものなんだ。でもそれがバンドのバンドたる由縁で、それでいいんだよ。ただ俺は人生でこの時期にあって、音楽的にどんな制限もいらないし、他の人と意見のバランスをとる必要もないし、自分の曲を完成させるために、他の人のアイディアは要らないんだ。だから、この先を見据えて制限がないところで一人でやる方が幸せに感じられると思ったんだ」
ーーオーディオスレイヴで学んだことは何でしたか?
オーディオスレイヴは何かを学ぶ経験というよりは、ロックのリセット・ボタンを押す経験だった。ガレージで曲作りをする若いバンドみたいに、メンバー全員で集まって、アルバム作りをしてさ。3枚ともずっとそんな風だったんだ。おかげで俺は生気を取り戻した感じだった。それまでずっと籠っていた地下室から俺を連れ出してくれたんだ。今の俺がある理由の大きな部分を担っているんじゃないかと思うよ。長年、俺一人で曲を書き続けていた俺のパレットを新しくしてくれたんだ。サウンドガーデンも同じ部屋で皆で一緒に曲を作ってはいたけど、それは最初の数年だけだったんだ。残りの11、12年は皆バラバラで曲を作ってた。だから、それがオーディオスレイヴが俺にしてくれたことだよ」