Dreaming Is Living

LA在住の音楽ライターが夢実現のヒントを綴ります

チェスター・ベニントン(of リンキン・パーク) 

2017年の「私は大丈夫です」の記事以来です。
大丈夫ですと自分にいいきかせつつ、まあ、大丈夫じゃなかったんですね。
ヒーローって大抵、作り話では一生しなないから。
2人も連続で先に逝かれてしまっては、彼らのストーリーの一部で生きていた私、
生きる土台を根底から揺るがされるよね。大丈夫なわけない。

時間が経てば楽になるとかも、人によるんだろうけど、私には時間とか関係ない。むしろ、時間を重ねると、「あれから何ヶ月だ」「あれからもう1年だ」とか、1年前のこの時期はまだ生きてたとか、余計なことを考える。

3月。

昨年の3月8日、スペースシャワーTVの取材の通訳で、チェスターとフェニックスに取材をした。チェスターはいつものように満面の笑顔で挨拶してくれて、
取材では「今の僕は最高に気分がいいんだよ」と最高の笑顔を見せてくれた。
スペースシャワーTVさんに許可をいただいて
『ワン・モア・ライト・ライヴ』のライナーノーツの最後に引用したことだけれど、
私が最後に会ったチェスターの、最後のメッセージを載せておく。この後に、11月の来日公演もすごく楽しみにしているよと言っていた。


震災後、リンキン・パークはB'zと組んでロサンゼルスでチャリティ・コンサートを行った後、宮城県石巻市を訪問して応援をしてくれた。チェスターがどんなに優しくてどんなに思いやりがあるヒーローだったか、良く分かるメッセージだと思う。

 

ーー今日は3月7日で、間もなく日本人が忘れることのできない3月11日を迎えます。震災の際のメンバーの活動、日本人は本当に勇気をもらいました。ありがとうございます。初めて日本に来たのはおそらく2001年だと思うのですが、改めて日本の印象を聞かせて下さい。
チェスター「僕達は本当に沢山日本に行っていて、それぐらい沢山の時間を過ごしている国は他にもあるんだけど、そこに行って、そこで過す時間が増えるほど、外国にいるっていうよりも、故郷にいるような気分になってくるんだよね。これは他のメンバーも感じていることだと思うけど、その国の文化に触れて、その文化に慣れ親しむと、自分の人生の中に、その文化の一部を取り入れるようになるんだよ。だから、僕達は本当に、日本と日本の人たちとの親しいつながりを感じているんだ。長年の間に日本で色々な経験をしたよ。最初に日本に行ってプレイした時は、ちょっとカルチャーショックを受けたし、恐ろしい震災が起こった時は、日本に行って、僕達の友人達を助けたいって気持ちになった。日本に行って、プレイするっていうよりも重大なことだったんだ。僕達は、被災地の人達のことが心配で、大丈夫かどうかを確認したかった。どんな小さなことでも、僕達にできることがあったらやりたかったんだ。僕達は、これだけ長年の間、活動を続けていられて、本当に恵まれてる。もう20年になるからね。そして僕達は、世界中の人達に親しい結びつきを感じてるんだよ。僕達は「アメリカ国民」や「カリフォルニア人」というのを超えて、「世界の民」だっていう気持ちでいるんだ。世界的なコミュニティの一員だって感じてる。だから、僕達の友人達、時には実際に僕達の遠い親戚だったりする人達に起こることは、僕達にとっても大事なことなんだ」

 

3日20日は、チェスターの誕生日だ。
お酒をやめた後からなのか、その前からなのかは分からないのだけれど彼は甘いお菓子が好きで、取材時に日本のお菓子をお土産でもらう度に、少年のようなキュートな笑顔で喜んでくれた。ステージで圧倒的なロックスターのオーラを放っている時とは対照的だった。
政治的なコメントを避けるスターが主流のアメリカで、「暴力で解決しようとしているから戦争は大嫌いだ」とはっきり言う人だった。他の人の痛みのために本気の涙を流して、実際に助けに行くような人だった。

 


Happy Birthday
and
Rest In Peace
チェスター・ベニントン

 

いい写真が見つからないので、見つけたらアップしますね。