Dreaming Is Living

LA在住の音楽ライターが夢実現のヒントを綴ります

「死にたい」が夢になってしまったあなたへ

 明日20日チェスター・ベニントンの命日だ。辛い一年だった。クリス・コーネルの命日から数えると、14ヶ月になる。本当に辛い14ヶ月だった。5月17日、クリスの命日の前日に、私は彼のお墓参りに行った。一人でお墓を眺めている男の人がいて、彼に声をかけたら、彼もウツを患っていたから、クリスの音楽には本当に大きな影響を受けたと教えてくれた。知らない人だけれど、その瞬間に誰よりも心が通った気がして、嬉しかった。その翌日あたりから、私の頭上を覆っていた重苦しい黒い雲が、段々と晴れていった。「ああ、やっと喪に服す期間が終るんだ」。そんな気がして、前向きになれていた。


 6月9日の夜。親友が電話をかけてきた。彼女は泣いていた。彼女が泣いている声など聞いたことがなかったから、一大事だと思った。話を聞く覚悟をした。その後に出て来た言葉は、私の覚悟では受け取りきれないものだった。
「Hが自殺した」
 Hは親友の高校時代からの友達で、その親友を介して、私も8年位前に友人になった。親友のパーティでは必ず顔を会わせる仲だった。チェスターのようにいつも明るくて、うるさくて、優しくて、彼女がいるとそれだけで周囲が太陽に照らされたように明るくなるような、特別な人だった。数週間前に、携帯メールで話をしたばかりだった。数ヶ月前にパートナーと別れて、それ以来、彼女はずっと落ち込んでいた。「時々ウツになるけど、大丈夫」。そんな話を聞いたばかりだった。私は、「大丈夫」の方を聞き入れてしまって、「時々ウツになる」を深刻に捉えなかった。
 そして、Hはこの世からいなくなった。


 このブログを読んでくれている方は覚えているかもしれないけれど、私は、チェスターが死んだのは、私が彼に直接会った時に何もしなかったせいだと自分を責めた。何度も何度も何度も自分を責めた。その時の後悔を、実の友達が苦しんでいる時に、生かすことができなかった。やっとウツが終りかけて、毎日を心から楽しんで生きていけるような気分になっていた時に、私が深層心理で一番怖れていたことが現実になった。助けられる距離にいた友達が、死んだ。私はどんな宗教も信じていないけれど、天が私を殺しにかかっているような気がした。

 結婚してからHとそれほど頻繁に連絡を取る仲ではなくなっていた親友は、Hがウツだったことを知らなかった。でも彼女自身もウツを経験していたので、「知っていたら、専門の医者に行くように薦めたのに。私にはそれが効果的だったから。それが唯一の解決法だから」と言った。Hはウツの治療は受けていなかった。でも、私はそうは思わなかった。私はただ、Hの話を聞く時間を作らなかったことを、ひたすら後悔した。私が彼女を助けられなかったからではない。私は彼女を助けられたとは思わない。ただ彼女が死にたいと思っている時に、「辛いね、私もこの1年ずっと辛かったし、また話したい時はいつでも話してね」と直接会って言えなかったことを、後悔した。この後悔は、一生消えないと思う。


 彼女が亡くなる少し前に、デザイナーのケイト・スペードと、シェフのアンソニー・ボーディンの自殺がニュースになった。クリスとチェスターの死後もそうだったように、誰かが亡くなると、「自殺を考えている人は、ホットラインに電話を」とニュースが言う。そのニュースを受けて、好きな人が亡くなった悲しみのやり場をどこに向けたらいいか分からない人達が、同じことをSNSで拡散する。ホットラインは命綱かもしれない。でも、ホットラインは自殺したい人のその瞬間を救うだけで、その人を救うことはない、と私は思う。カウンセリングも専門医も向精神薬も同じだ。


 20年以上前の、私が毎日死ぬことばかりを考えていた時。ウツがそのレベルに達すると、考えるのは「どう死ぬか」だけだ。「どの方法でやれば、確実に、でも楽に死ねるか」。私は毎日そのことばかりを考えていた。ホットラインに電話をする気など全くなかったし、カウンセラーにそのことを話す気にもならなかった。私の頭は、真っすぐに、「死ぬこと」に向かっていた。その思いだけが、私を生かしていたと言ってもいい。そのレベルに達する前は、親身になって話を聞いてくれるカウンセラーに会うことで、助けられている時期もあった。そのカウンセラーの仕事ぶりに感銘を受け、元気になったらカウンセラーになりたい、と希望を持つ日もあった。自分に会ういいカウンセラーに出会うことがまず必要になるけれど、一過性のウツであれば、それで完治することもあるだろう。でも、私のウツは10歳の時に始まった筋金入りのウツだ。幼い頃に親の暴力の連続によって負った一生消えないトラウマが原因のウツだ。カウンセラーの言葉や薬などでは、決して治るものではなかった。チェスターのウツも、そのレベルだったと思う。だから私は彼のことがずっと気になっていたし、彼に元気でいて欲しかった。彼が元気で生きているという事実は、私も元気で生き続けられるという希望を与えてくれるものだったからだ。だからチェスターは、私のヒーローだった。


 誰かが自殺した時、「なぜ私に相談してくれなかったのだろう」と心を痛める人がいる。その理由は人によって違うだろうけれど、私個人の考えでは、相談しないのは、おそらくあなたがウツを知らないからだ。あるいは、知らないだろうと思われているからだ。ウツを知らない人にウツのことを話しても、共感は得られない。共感が得られない話は、自分の辛さと孤独感を増幅することになるだけで、助けにならない。もう一つ、ウツの人は「こんな自分はもう生きてる価値がない、消えてしまいたい」と本気で思っているので、それ以上に人に迷惑をかける(と思う)行為に出られない。相談したらしたで、「生きてる価値のない自分が、生きてる価値のある人を困らせている」と、さらに自分を追いつめる。

 チェスターの死後、彼の死を悼む周囲の人達が、ウツと闘い始めた。ウツだったらホットラインに電話を、ウツだったら専門医に相談を、そう訴える人の多くが「ウツを知らない」人達だ。彼らの気持ちはとても有り難いし、ウツという病があることを世間に広めて理解を促すことは大事なのかもしれない。でも、それで私達が救われるかといったら、そうではないことが多い。彼らはウツを知らないからだ。ウツを知らない人達にできることは、ウツ病で大事な人を失う辛さ、あるいはウツ病の人と生きて行くことの辛さを語ること。ウツ病の人を大事に思っていて、彼らに生きていて欲しいと伝えること、それだけだと私は思う。その思いに助けられる人はきっといる。でも、ウツを知らない人がウツと闘おうとするのは色々な意味でとても危険だと思う。


 私が自殺に失敗して、死ねないのならせめて社会から身を消そう、ひきこもるか病院に入ろうと決めた時、偶然その決断を話した相手が、長年精神を患っている人だった。友達でもなければ、仲がいい人でもなかった。でも私を変えたのは、その人の言葉だった。「また大変なことにならないように、気をつけてみてるから」。本当に私を見ていられるほど近い距離にはいない人だったのに、私は変わった。私に必要だったのは、真の共感だった。
 クリスのファンや、チェスターのファンの中には、私のように長年のウツを抱えている人達が大勢いる。家族も友人も医者も誰も共感してくれないものを抱えている時に、彼らの歌が「俺もそうだから。俺がお前を見てるから」と言ってくれたような気がした。それだけで、私達は救われた。クリスも取材で同じことを言っていた。「憂鬱な曲を聞いた時、こんな風に感じているのは俺だけじゃない、俺は一人じゃないんだって思った」と。


 この記事が、どこかで同じ気持ちを抱えているあなたに届いたらいいなと思う。健康な精神状態の人達にとっても、現実社会で生きて行くのは楽じゃない。私達は、とても生きづらい人生を生きていて、私達の人生は酷く困難で辛くて険しい道だと思う。なんでこんな思いをしてまで生きていなけりゃならないんだと、何度も思うと思う。でも、そう思ってるのは、あなただけじゃない。同じように死にたいと思ってる人達が、世界中に大勢いる。そして、死にたいと思いながらも、なんとか毎日を生きている。
 大事な真実を一つ、覚えていて欲しい。あなたのその夢は、あなたがそんなに何度も何度も何度も繰り返し願わなくても、いつか確実に叶う。「死ぬ」ということは、全ての人に平等に訪れる真実だ。死なない人はいない。人はいつか、必ず死ぬ。なんて平等で公平なんだろう。わざわざ自分で自分を殺さなくたって、その夢は確実に叶うんだよ。絶対に叶うことが決まっている夢って、もはや夢じゃないよね。だから、絶対に叶う夢を、わざわざお願いするようなことは止めてしまおう。「死にたい」と思った瞬間に、その願いを「もっと楽に生きたい」に変換する力を持とうよ。「生きたい」が無理なら、「逃げたい」でも「止めたい」でもいい。願いの言葉を変えよう。そんなことは考えられないよ、私は今すぐにでも死にたいんだよ、って思うかもしれない。その気持ちは、痛いほど分かる。本当に分かるよ。でも、その思いを抱えながら、私は生きて行く。そして生きている限り、文章を書き続ける。

あなたは、一人じゃないよ。

 

I am Alive, because Dreaming Is LIVING.